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プロフィール

プロフィール

名前:長崎の行政書士かぎやまひでゆき 

HN:がっちゃん(則巻ガジラ、通称「がっちゃんに」憧れてます。可愛い顔して角かアンテナ分かりませんが、そこからビビビビーッと光線を発する、あのがっちゃんです。)

出身:長崎県長崎市(現在も在住)
生れ:1954年(昭和29年)8月13日生れ

獅子座、A型、RH+

家族:奥さんと同居中。娘が2人で、1人は東京、1人は名古屋在住で、未だ未婚。

学歴:大学中退(訳はあとで判明します。)

趣味:以前はへたっぴゴルフが趣味で、良く
行ってましたが、ある願掛けのために只今封印中。



資格マニア?

大学を中退した劣等感からか、中退の穴埋めからか、資格マニアみたいになってしまいました。
  

頭がいいからだろうって?とんでもない!


資格試験は満点を取る試験でもなく、成績順に並べられる訳でもないんです。

資格の種類によって若干異なりますが、ぎりぎり60点とれば、なんとか合格に漕ぎつけることできます。というか、ほとんどが60点で合格できる資格を狙って受験してました。

だから私の場合はほとんどが、60点すれすれでの合格ばかりです。


これは要領があって、過去問を徹底的にやることが秘訣かも知れません。

今度、資格試験合格マニュアルみたいなものを作ろうかなと思っています。


 
アマチュア無線技士(長崎で受験)

高校1年生当時に講習を受ければ貰えると言うので受けた最初の資格です。電話級というものです。



剣道初段(高校2年)(長崎で受験)

小学校の5・6年の頃と、高校1年の1年間を剣道少年として過ごしました。その後に受験して、いただいた剣道初段です。



少林寺拳法二段(東京で受験)

大学に入って少林寺拳法をやり始め、三級→二級→一級→初段→二段と進み、三段を受ける前日に、酒を飲みに行った帰り、自転車でこけて肩を脱臼してしまい二段まで。

翌日には入院するはめになりました。



一級小型船舶操縦士(長崎で受験)

最初に4級小型船舶操縦士と言うのを受けました。学科講習1日、実技講習1日、学科試験1時間、実技試験1時間程度で貰えました。

数年後に、先輩から「4級免許保有者対象の1級講習があるから、一緒に受けよう」と誘われて、1級合格!

20tの船まで操縦できます。私の一番の自慢したい資格がこれですね。



宅地建物取引主任(東京で受験)

学校にも行かず、部活とパチンコ三昧の日々を送っていあたおかげで留年してしいましたので、これはいかんと一念発起して受けたのがこれです。大学2年生の頃です。

高校は卒業していましたので、受験資格はありました。

もちろん過去問を徹底的に朝から晩まで繰り返し、繰り返し、テキストがボロボロになるまで、学校にも行かず勉強して、なんとか合格できたのがこの資格です。

これこそ資格マニアの始まりだったようです。



二級建築士(長崎で受験)

高をくくっていたのか、1回目はみごとに落ちました。

2回目にしてようやく合格し、晴れて建築技術者の仲間入りをさせていただきました。



不動産コンサルティング技能登録(長崎で受験)

宅建主任者または、不動産鑑定士の資格保有者しか受験できない資格が新しくでき、最初の特例試験というので受験しました。

資格試験って、創設の時は難しくないんですよ。だから喜び勇んで受験しました。



一級土木施工管理技士(福岡で受験)

先に、二級土木施工管理技士を講習で取得していました。これは一定の実務経験を積むと受験資格が得られましたので、受けることにしました。

学科試験勉強は、もちろん過去問オンリーです。このころから、過去問は10年分手に入れて勉強開始です。



学科が合格すると、実技試験と言う名のペーパーテストです。これは、実務経験上の施工管理の作文みたいなのと、やはり選択問題形式の学科試験でした。



一級建築施工管理技士(福岡で受験)

二級建築士を取得して、一定期間実務経験を積むと、受験できるようになります。一級土木施工管理技士と全く同じ要領です。

試験の構成も同じなので、いくぶんやり易かったのを覚えています。



その後も、土地区画整理士(大阪で受験)を受験しました。学科は例によって何とかクリアできたのですが、論文試験が待っており、これはあえなく撃沈!



不動産鑑定士試験も(福岡で受験)、短答式試験は択一式だったのでなんとかぎりぎりセーフだったのですが、やはり論文試験で撃沈!



行政書士(長崎で受験)

1年目は全く歯が立たず不合格。2年目にしてぎりぎり合格!

今や現職となりました。けっこう挫折の繰り返しです。



生い立ち

昭和29年、海砂を採取して販売する、建材屋さんの家に生れました。

生れた場所は、長崎市東部の瓦屋さんの敷地にあった二軒長屋だそうで、海のすぐそばにありました。


そこで日の出の頃に生れたらしいので、「日出幸」。ちょっと安直な気がしないでもありませんが、親父さんがつけた名なので文句は言えません。珍しい名前のようです。


秀幸さん、秀行さん、英之さん、英幸さん、英行さん、日出雄さん、日出夫さんにはお会いしたことがありますが、日出幸さんには、この50数年間、まだ逢ったことがありません。

もし、いらっしゃったら私にご連絡下さいね~。


(^O^)/


生まれて間もなく、長崎市西部地区に引っ越して、親父さんは材木屋さんを創業です。

そのころは、ヒジョーに貧乏だったようで、全く陽の当らない6帖一間に台所だけがついた貸間に一家5人が暮らしていました。

当時、初任給が4,000円くらいでしたから、家賃はたぶん500円くらいじゃないでしょうか。




(ただ、どうやって5人も同時に6帖間で寝てたのか、どうしても思い出せません。今でも七不思議のひとつです。)



親父さんは働き者の上、アイデアマンだったせいで、商売の方も徐々にうまく行き、少しずつ生活もランクアップしていきました。



最初の家は角から二軒目にありましたが、私が幼稚園に入る頃に表通りに土地を借り、一軒家に引っ越しです。



一軒家といっても、8帖の和室、キッチンがついた6帖の和室、2階が5帖程度の板の間。以上です。

道路から、50cmの溝を挟んですぐ玄関です。もちろん庭なんてありません。



ここで中学校を卒業し、高校2年まで過ごしました。

高校2年の終わり頃に、丘の上に建てた待望の庭付きの1戸建てに引っ越しです。



敷地は一気に120坪くらいにランクアップです。でも、丘の上の家に行くには急こう配の坂が待っています。

この坂を登るのが嫌で、近所にある親父さんの会社にいっては社員さん運転の車(トラックとかしかなかったようですが)で家まで乗せて貰っていました。



高校を卒業し、またしてもぎりぎり補欠合格した大学入学のため、一路東京へ上京します。寝台列車「さくら号」は、長崎から東京まで20時間以上もかかったような記憶があります。



あこがれの大都会東京、しかも夢に見た「ひとり暮らし」を十分満喫しました。満喫しすぎて、留年の憂き目にも遭いました。



そこで、「なんとかせんといかん」と宅建主任者試験を受けることにした訳です。合格点の60点を取るために戦略と言うか、作戦を立てて勉強を開始しました。10月下旬の試験日まで約90日。まともに行っては勝ち目はありません。したがって、勉強しない科目を探すことにしました。



資格を取ることは、その分野に詳しい専門家になることではありません。専門家になるのは、資格を取った後からの勉強次第によるのです。ですから、ぎりぎりでもいいからまずは合格すること。



そこで捨てる科目探しです。まず、税法問題。これは50問中2問しか出ない割には、テキストを読んでもチンプンカンプン。まず、これを捨てました。



建築の一般構造に関する問題。これも50問中2問ないし3問しか出ません。曲がりなりにも建築学科に在籍している以上、これは多分解けるだろうと、やはり学習範囲から除外しました。



これでずいぶん学習範囲がスリムになりましたが、まだ広すぎます。そこで、ウェイトの高い科目はと見ると、まず宅建業法。これが10問程度、建築基準法・都市計画法関係。これが同じく10問程度。民法関係。これが10問程度。



ここまでくると、集中すべき部分が絞られます。そこで民法→宅建業法→建築基準法関係の順で過去問を徹底的にやる。そういう作戦で行くことにしました。



当時、60点(30問)取れれば、合格でしたからこの3教科だけで8割~9割の48点~54点を目指し突撃です。



東京の早稲田実業が試験会場で、なんとかぎりぎり62点を取っての合格でした。この経験が後の資格試験突破法の基本戦略になっています。



ぎりぎり人生の始まり始まり



留年で勘当状態の中、取り敢えず親父さんへの点数稼ぎができ、ひとまず安心というところでした。



ところが、人間ドックに入ると聞かされていた親父さんですが、半年以上も入院が続き、原因不明で亡くなりました。たぶんすい臓がんではなかったかなと思います。



親父さんの死で、輪っかの外れた孫悟空と同じで毎日アルバイトとパチンコに明け暮れ、3ヶ月後には退学届けを出していました。



仕事歴 

長崎の実家の材木屋さんに入社して、重い材料配達の毎日から職歴の始まりです。おかげですごく体力がついて、100kgくらいの松の梁の材料でも担げるようになりました。



帰ると風呂、メシ、寝る。これだけの毎日です。頭はあまり使いません。体力勝負です。





1年後には、同じく長崎の親父さんの経営していたグループ会社の住宅建築会社入社、現場担当、積算担当を経て、35才で常務、38才で専務就任。



この辺は割ととんとん拍子みたいですが、社員さんからの後押しの声があってはじめて昇進するという手順を踏み、一応社内出世していきました。



だって、私の下に特別優秀と言わけでなく、どちらかと言うと性格は悪くないけど売れない営業マン3人を部下として付けて貰って計4人の営業チームで最高12億円もの受注してましたから。



実績を作って昇進という次第です。おぼっちゃまだからではないんですよ。



すごいでしょ!



おかげで販売にはすごく自信もついたし、あの苦手だった税法にもかなり詳しくなっていました。



なぜっ?て、お客さんから聞かれてその場で答えられないと信頼を勝ち取れないと確信しましたから、いろんなシミュレーションを考えては、税理士に問い合わせるという学習法で知識を蓄積していきました。



43才の時に、本家本元長崎の材木屋さんの社長にスカウトされ、社長業の始まりです。



ところが、塞翁が馬ではありませんが、自分が経営する会社は何とか順調に売り上げを伸ばし、それなりに収入も増え、わが世の春を謳歌しておりましたが、実兄が経営する会社が倒産し、その保証を被り会社解散。



一気に無収入となりました。



財布の中には数十万円を入れて持ち歩いてたのが、一夜にして数千円しか財布の中に入っていません。これってけっこうこたえますよ。



2社分の借金を肩に乗せられ、相当落ち込みました。たった1週間で7kgのダイエットです。



いくら食べようとしても体が受け付けません。もう、それあれよあれよという間に痩せていきます。



ダイエットなんて簡単です!社長になって、にっちもさっちもいかない状態になると、簡単に痩せられます!





1年半ほどで10億円以上も借金返済をした後、人材紹介大手の某社の紹介で、神奈川の不動産・建築・ビルメンテグループ会社の(統括)部長として入社しました。150人も社員のいる会社です。



給料もなかなかいい金額でしたので単身赴任の身の上としては、かなり優雅な毎日だったと思います。



でも、1度でも社長を経験すると、勤めている会社の方針だとかが、「俺とはちがうなあ」となってしまいます。たぶんそれが顔にも出てたんでしょう、ついに社長と面談後、その場で退社。



またしばし、無職です。でも、遊んでいる場合じゃないでしょうという訳で、近くの警備会社でアルバイトをしながら不動産鑑定士の試験勉強の日々でした。

でも、東京ビッグサイトで受験した論文試験は見事不合格!



何社も受けた会社は、年齢的なものでしょう、面接まで至らずに書類選考で落ち続けました。「俺ってこんなに才能あるのに」とぼやきつつ落ち込んでおりました。



ある時人材紹介会社からの紹介があり、51才で東京都内の住宅会社のメンテナンス室にお世話になることになりました。100人弱の会社ですが、東京とはいえ地場ではなかなかの規模の会社です。



でも、この会社で残業というものの過酷さをいやというほど経験させられました。



朝は7時半から会社を飛び出します。定期点検を実施する家、点検後の修繕を行う家、社内検査を行う家などなど。それが終わり帰社すると夜の9時~10時です。



それから点検報告書の作成、翌日の予定の確認などをやっているともう、夜11時過ぎ。あわてて電車に飛び乗り帰宅の途に。



終電で寝過してしまうこともしょっちゅうで、目が覚めると「ここはどこだ?」の連続です。



赤羽という東京北部の駅から、西に向かって新宿まで乗ったはずなのに、目が覚めると埼玉県の大宮駅に到着。





こんなことばかりやっていました。

おかげで、神奈川で受験した行政書士試験には見事不合格!



「俺はこんなことしてる場合じゃない!起業するんだ!」ということで、1年間勤務した会社を円満退職後に長崎に帰郷。



4か月の失業保険受給と公共職業訓練の日々。その間に行政書士試験の受験勉強!





私の人生の節目には、資格試験が付きまとっています。要所要所で必ず資格試験が出てきます。



2回目の行政書士試験は長崎での受験で、またしてもぎりぎりの6割合格。この辺のところは相変わらず、成長の跡が見えません。



でも、最後に勤めた会社のおかげで、世のサラリーマンがいかに残業をし、それが給料に反映されないサービス残業となっているかということをいやというほど知らされたことが、逆に大きな収穫だったと思っています。



この経験があったからこそ、残業に明け暮れている会社員の方々が、会社に残業代を請求し、正当に取り返すお手伝いをさせていただくきっかけになった訳ですから。



近況
現在、長崎市の県庁から市役所に至る目抜き通りにあるビルの4階のテナントとして1室を借りて行政書士事務所を開業しています。



家賃は相当高いだろうって?



いえいえ、高校の同級生が社長をしている会社の関連会社が所有しているビルで、ちょっと古いのですが、「貧乏なんで安くで貸して!」とお願いしたところ、二つ返事で「いいぞ」と言ってくれました。



てなわけで、相当安くで借りています。たった1人で使うには広すぎるくらいです。15坪の事務所です。



ここでいろいろなことを思念するうちに、周囲から残業代の相談を受けることがあり、それならばとお手伝いをさせていただくことにしました。



知り合いの弁護士さんから、未払賃金の請求事件ならば労働審判を活用するのが1番効果的だとのお話を聞いておりましたので、早速活用方法を勉強し、サイトをアップ致しました。



この労働審判という裁判外手続は非常に効果が高いです。



全部でたったの3回しか開かれないのですが、まず調停を試みて調停が成立すれば、調停調書が作成され、これが法的拘束力をも持ち合わせるものですし、調停不成立でも労働審判官による審判が下されると、これも法的拘束力を持つというスグレモノです。



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ここまで長々とプロフィールを読んで下さってありがとうございました。感謝致します。



あなたの残業代請求のお役にたてれば幸いです。

長崎の行政書士かぎやまひでゆき



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